ストライキは政府に対する国民の意思表示 2006/04/15 
フランスにはわが国のような4月入社のシステムがありません。大学3年の後半、いっせいに就職活動に入ることも彼らはないのです。フランスの大学生は卒業証書を手にしてから、就職を希望する会社に個人的にアプローチ。企業側の厳しい審査を通った学生だけが、五月雨(さみだれ)式に社会に巣立ちます。

よく知られているソルボンヌ大学の卒業生の多くは、まさに「大学は出たけれど」状態。彼らに待ち構えているのは、卒業=失業の憂き目なのです。今回のストライキの主人公たちが、まさにそうした若者たちでした。就職すること自体がむずかしいのに、ようやく手に入れた就職先でも若年労働者の彼らは、解雇されやすくなってしまったのですからたまったものではありません。

“怒れる若者たち”の一連の行動を勝利に導いたのは、一般国民の彼らに対する理解にほかなりません。国民は政府に対する意思表示として、デモ行進をする権利があるとフランス人は考えます。地下鉄や国鉄の時限ストと間引き運転で足を奪われようとも、一般 国民は迷惑顔を決して表に出しませんでした。ストライキが自分たちの、政府に対する最後に残されたマニフェストだと、だれもが疑わなかったのですから。 かといって私は、ストライキを奨励するつもりはありません。ただ、火炎ビンが飛び交う美しい街の映像をテレビで漫然と眺めながら、いつの間にかデモもストライキもしなくなった私たち日本人の意識に、ついつい思いがいってしまっただけです。恋愛も政治も、自分が納得することがつまりは心残りのない人生を歩む最大の秘訣ではないでしょうか。デモ好きだったおじ様方、年金問題を酒の肴になさるだけでなく、“怒れる団塊世代”ののろしをあげてはいかがでしょうか?