国家の品格よりも、個人の品格 2006/06/01 
話題のベストセラー「国家の品格」を読みながら、私は国家ではなく、個人を論じようと思いました。天下国家を論じるのは男性に任せて、ここでは「個人の品格」について考えてみましょう。

昔の人は、女性をこう誉めました。「お嬢さん、とてもお品があってよろしいわね」と。といっても、美貌は上品さの絶対条件ではありません。美人で上品にこしたことはないですが、ほとんどの場合はないものねだり。すごく稀に美人で上品な女性がいて、次に上品なブス。そして下品な美人とブスで下品が同列です。

男性には上品とか品があるというかわりに、品格が備わったとか、格がちがうとかいいます。それにしても今の世の中、品格のある男性と上品な女性がめっきり減ったのは残念ですね。

そもそも勝ち組だ負け組みだと騒ぎはじめたころから、品性の劣悪化に拍車がかかったように思えます。遊び感覚で勝ち負けと自らを揶揄していた罰が当たったかのように、下品な世の中になりました。あの時点で品格、あるいは品のある人たちが、「そういう下品きわまりないことは、いうべきではない」と、声を大にして叫び、態度で示すべきでした。

そして事態はさらに悪化し「格差社会」という、なんともおぞましい四文字熟語まで生まれました。でも今度ばかりは、黙っているわけにはいきません。「衣食足って礼節を知る」の諺どおり、有り余るお金がなくても、衣食に困らない私たちは礼節を尊びましょう。
モラリストのようなことを申しましたが、品のいい女性の絶対条件は笑顔を絶やさないこと。さあ鏡の前で、ハイ・チーズ!