激しく怒って笑って泣いて、そして愛して! 2006/07/15 
ワールドカップ関連が続いてすいませんが、もう一度だけ書かせてください。決勝戦でのジダンのヘディングをみて、『いいな、ああいうの……』と思ったのは私だけでしょうか。

以前から拙著の中でよく私は、フランス人は激しさを評価する人たちだと書いております。といってもバイオレンス(暴力)ではもちろんなく、喜怒哀楽は激しいにかぎるというのが彼らの持論なのだと。ちょっと過激ですが、たとえば愛がなくなっているのに妻の座にいたがる女性を周りの人は冷ややかに眺め、愛し合っている不倫カップルにエールを贈る。
徹底的に愛し、泣き、嬉しかったら大いに喜ぶのを上等とするのがフランス人なのです。自我の表出を潔としない私たちとは、その点が決定的にちがうわけです。

今回のジダンの瞬間湯沸かし器のような行動を非難するどころか、そんなフランス人は理解を示したわけです。ジダンにレッドカードが出なければ優勝できたものをと悔しがることはせず、だれよりも欲しかった優勝杯を棒に振ってまで頭を出した彼の気持ちを、国民は評価したといえます。ですから彼らは、快く準優勝に甘んじた。と同時に彼らは、イタリア人はわだかまりが残る勝ち方をしたものだと、思っていることでしょう。こんなところにフランス人のしたたかさがみえ隠れするのが、いやみといえばいやみですが。

話が飛ぶようですが、テポドン騒動への政府の対応に歯痒さを感じませんでしたか?拉致問題にしても、そうですが、「もっと怒ってよ!」。ジダンのお陰で私は、その気持ちがさらに深まりました。いつの間にか私たち日本人は、すべてに鈍感になってしまったようです。どうしたら鈍感の汚名を返上できるか、みなさんも考えてみてください。エッ?鈍感なのではなく、穏やかといってくれって?