ベターは複数あっても、ベストは一つ 2007/06/01 
プロジェクト実現のための物件に出会った時点では、単なる改装工事ですむと高を括っておりましたが、予想外の大工事。築30年だというのに、建物の傷みが激しかったのが大げさになった理由です。壁を作る前に50本以上のスチール棒を立てたり、階段を作り直したりで、基礎工事に手間取りました。それでも床のフローリングをすませ、ようやく終わりがみえてきました。

トンカチ・トンカチ、ブルルルーン……。大工さんの手元から細かな大鋸屑(おがくず)がまい、眉も髪も真っ白。痩せてみえるように黒系ばかりを着ている私は、埃まみれのタマちゃんみたい。きれいに色を塗れば積み木になりそうな木片を集めていた私に、奥様を亡くされたばかりの、ご高齢の宮大工さんがニッコリ。現場監督の松村さんと私にしか通じない渾名ですが、その寡(やもめ)の宮大工さんのことをカモメさんと呼ぶことにしました。それにしても私って、大の工事好き。贅沢な趣味だといわれますが、ホストに大金を貢ぐでなし、高価な宝石を買うでなし、いたって健全と自己弁護する私がいます。

大工さん、左官屋さんや電気屋さんもそうですが、現場ではだれもがべつのことをしている。それでいて、その中のだれか一人が欠けても工事は進みません。もの作りの真髄とでもいいましょうか、これが実業の世界だと確信。ベターはいろいろございますが、ベストは一つを信条にしている私にとって、現場はなんともエキサイティングな場所。神楽坂が賑やかな夜の街に変貌するころ、人気がなくなった現場を訪れてみました。スイッチの場所を手探りで点けた仮設の裸電球の光の中に、塗装前のボードに大工さんが書いた、細かな数字が浮かび上がります。厨房器具が入ったら、真っ先に美味しいカトル・カールを職人さんにプレゼントしたいと思います。