アンヌとジルの結婚指輪 2007/09/01 

数日前の、ある午後のこと。仲良くしている宝石加工「ガル」の青原さんから、お呼びがかかりました。ご来店のフランス人カップルの通訳を、私がおおせつかったというわけです。粉のついた手を洗い、していたエプロンを外してアトリエの奥まった席に急ぐと、男女がちょこりと座っているではありませんか。それからしばらく「ボンジュール」のご挨拶ではじまった、ある午後のできごとをお聞きかせしましょう。

男性の名前はジルで、女性はアンヌ。この10月からフランス企業の駐在員として、東京勤務が決ったふたりは、居住地として神楽坂を選んだのです。事務手続きと新居の下見がてら町を散策していた彼らは、路地に面したウィンドーの指輪に目を止めた。そして婚約中の彼らは、自分たちの結婚指輪を新生活をはじめる神楽坂で買うことにしたのです。ベルベットの台に並んだ指輪を、真剣な眼差しで見詰めるふたり。そんな彼らの前には、サイズ見本の束を持った笑顔の青原さん。フランス語がお役に立つのならと、喜々とする私がおりました。

ジルとアンヌが選んだのは、なんの変哲もない14号と10号の銀の指輪。ロジウム加工を施しただけの、シンプルで飽きのこない男性用の指輪を手のひらに乗せて、ためつすがめつのアンヌ。注意しないと見逃してしまいそうに細かいダイヤがはめ込まれている、アンヌの女性用の指輪に見入るジル。注文表にふたりの名前をアルファベットで正確に記しながら、彼らに伝えた値段は二本で2万円。これがかりに20万円だったとしても、いえ200万円だったとしても、指輪の前のジルとアンヌの微笑みは同じ。そう思ったのは、私だけではありませんでした。

「フランス人って、面白いね。結婚指輪も、あれでいいんですね、フランス人って」そんな青原さんのつぶやきを聞いて、その日一日がいい日だったような気がしたものです。