甘納豆はパリの思い出 2008/05/15 

そういえば与謝野晶子の実家も羊羹屋さんでしたから、今回は和菓子づいてますね。
昨日、本所の甘納豆専門店にまいりました。本所は浅草から隅田川をわたったあたりの、下町情緒が残る古い町です。三つ目通りに面した、老舗の風格ただよう「平野屋甘納豆本舗」の金看板にまず感動。帰宅して口に放り込んだ一粒が、たちまちにして私をパリに誘ってくれたのでした。それもパリで住んだ三軒のアパルトマンのなかで、最後でもっとも長かったサン・ミッシェル。部屋が広いわりに異常に狭かったキッチンに、ひとり私が立っているのでした。

パリ生活の半ばごろから、甘納豆づくりが私の趣味のひとつになりました。といっても、今はどこでも買えますから、作っていたのはパリ時代のこと。手の込んだねりきり系は、最初からパス。大福にきんつば、お団子や水羊羹といった素朴な和菓子は作れても、まさか甘納豆が作れるとは思いませんでした。できたての大福を娘に食べさせ、ひとり悦に入ったものでした。そんなある日、日本から届いた雑誌のグラビアにあった甘納豆屋さんの写真に、小さくでしたが作っている場面がのっていたのです。

甘納豆は、浸透圧か。そうか、マロン・グラッセと製法が似ている。そうなったら私の頭は、寝ても醒めても甘納豆作りの光景が広がります。初回に首尾よくできたことに気をよくして、夫が東京に帰るのを待ってせっせと甘納豆作りに励んだのでした。というのも、甘納豆を作りには場所がいる。蜜から取り出した豆を乾かし、お砂糖で濃くした密にまた浸す。豆を乾かす作業がキッチンだけでは足りず、家中が納豆作りに占拠されてしまうからです。それにしても、なぜあんなにまで甘納豆作りに勤しんだのかが、今となっては不思議です。