人生が二度あれば 2009/11/01 

ご存知の方もおいででしょうが、フォークソング全盛のころの陽水の歌に『人生が二度あれば』というのがあります。その歌が流行っていたころ、こんなことがありました。よくいっていた飲食店で、この歌が流れたときのことでした。店にいた見ず知らずの男性が突然、近くにいた私たちにこういって怒りだしたのでした。「人生が二度あればだなんて、けしからん。そんな甘っちょろいことをいっているから、若いやつはだめなんだ」と。70年代前半にCDはまだなく、店のご主人がBGMにカセットテープを入れ替えていた。オジサンも若者たちもだれもが、とがっていた時代のセピア色した記憶の断片です。

人生が二度あるとしたら私は、迷わず寒村で暮らします。以前にそんな願望を、拙著に書いたことがございます。そのとき親しくしている山陰の書店さんからメールがきて、いつでも廃屋を提供してくださるとのこと。そのお約束を胸に今日まで、来世を楽しみにしているわけです。神奈川の藤沢は辻堂海岸に生まれ、幼少期を過ごしたからか、暮らすなら山間より海辺がいい。波の音とうみねこやかもめの鳴く声がする以外になにも聞こえない、淋しいくらい静かな土地でいいと思うのは、今の生活が喧騒に埋もれているからにちがいありません。

銀行に行くには自動車がいる、食糧はどうするetc. とはいえ、空想の世界なのですからやかましいことはなし。稼業がもの書きですから、インターネットがあればいい。ネットがあれば、読みたい本も買えます。風が吹けば桶屋式に、立ち読みコーナーがもっと充実すればいいのにと、妄想がひとり歩き。人生が二度あれば、あなたならどうしますか?