ジプシーのおはなしを聞いてください 2010/10/15 

なぜ今になって、サルコジ大統領がジプシー追い出しの強硬策に出たのか呆れます。人権とか自由を最優先するはずのフランスが、少数民族を迫害してはまずいとだれもが思うはずなのに。パリ滞在中に、そのことを数人の親友にたずねてみました。友人にサルコジ派がいないので、一同が今回の愚挙に「オー・ララ」。日本人の私たちには関係ないといわれればそれまでですが、カルメンはお嫌いですか?

最近はジタンというより、ロマがジプシーの一般的な呼称になりました。流浪の民といわれるだけに、現在でも彼らは定住を嫌います。80年のことでした。私たちが住んでいた5区のアパルトマンに、ある日、ジプシーの名ギタリストが訪ねてきたことがありました。夫が書いた、ジャズの原稿がきっかけになった出会いでしたが、じきに音信不通。ジプシーキングという人気グループのコンサートに行くたびに、あの時のギタリストが紛れているのではないかしらと舞台を凝視。娘が小学校に入ると、同じクラスにジプシーの女の子が在籍してました。三年遅れの入学だったそうでしたが、読み書きができない彼女を叱る先生はいなかった。教室の仲間と楽しそうにしてましたが、新学期から半年ほどたった連休明けに、彼女は学校に来なくなった。

ある時期、セーヌ右岸を東西に一直線に走る、メトロの1号線に乗るのが楽しみだったことがありました。三度に一度の確率で、ジプシーの男の子に出会えたからです。小柄なからだで重たいアコーディオンを支え、「愛の賛歌」や「チゴイネルワイゼン」を弾きまくる少年に私は、心の中でどれだけ拍手をしたことでしょう。降りぎわの少年にいつも、500円相当の硬貨を渡しました。たまたま復路で、同じ音色のアコーディオンを聴いたときは感動でした。うれしくなって二度目の硬貨を渡そうとした私に少年が、こう言い残したのです。「さっきもらったから、いらない」と。スリにもあいましたが、私のジタンをいじめないでと、大統領に直訴したい気がします。