祈れや、虫や鳥にならないために

2013/8/1 

ふと目にした「万葉集」の一句で、パリ時代の遠い記憶が蘇りました。パリから南西50キロほどのところに、エタンプという川沿いの古い町があります。その昔、穀物やワインの河川運搬で栄えた町で、キラ星のごとく美しい町や村が散らばるイル・ド・フランス地区で、地味ですが物語性のある好きな町のひとつです。長く住んでいたサン・ミッシェル広場の地下に、RERという郊外高速鉄道の駅がございます。広場から駅に通じる階段を下りて、C線に乗ってひとりでよくエタンプに出かけたものです。ピサほどではありませんが、その町のサン・マルタン教会に隣接して、地盤沈下で見事に傾いた塔があるんですよ。

いつ訪れても、サン・マルタンの斜塔に人影はありません。「ああ、やっぱり傾いていたわ」と納得するために行くような感じで、次なる自分だけの名所に向かって500メートルほどてくてく歩くのでした。目指すはサン・ジル教会ですが、こちらも鎮まりかえっております。そしてお決まりのように、教会の屋根を眺めて、こう呟くのでした。「ああ、いるいる。犬と猿と、醜く虐げられた人間たちが」と。いみじくも大伴旅人さまが詠った、「虫にも鳥にも我はなりなむ」そのものの世界です。楽しみ過ぎて地獄に堕ちて、獣や怪物の姿になった、カルグイユと呼ばれる教会の雨水落しをたしかめて、なんだか安心してパリに戻ります。カルグイユなら、パリのノートル・ダムのが知られてますね。今でこそ教会のミサに出る人は稀ですが、ゴシック様式をとどめるサン・ジル教会は中世を通じて、町の人々の心のよりどころ。神父さまは今も昔も、「神の子たちよ、屋根にいる犬や獣や怪物にならないために祈りなさい!」を繰り返しておいでのことでしょう。

祈りの教会と大伴旅人さまは、真逆のようで表裏一体。万葉人的に今を大らかに生きるか、餓鬼道に堕ちることを恐れて祈るか、さて、みなさまどちらにしますか? パリにお出かけのせつはぜひ一度、だれもいないエタンプの町にいらしてみてください。それとも一枚上手の、祈れば救われるにお座布団でしょうかしら?……、やっぱりちがわないかもね。秋の訪れを楽しみにして、夏を凌ぎましょう。