いつまでも気が若い仲間たち

2013/10/15 

最近になって、わたくしが「若いですね」といわれる意味が、よくわかりました。見た目が若く見えるわけではなくわたくしは、たしかに気が若いかもしれません。歳をとるのも、へっちゃらです。そして類は友を呼んで、わたくしの周りに年齢不詳の女性たちがごろごろ。年齢を厚紙に書いて、ペンダントにして首に下げているわけでないのですから、実年齢なんていくつだってかまいません。要は気の持ちようですし、いつまでも美しくなどと、無いものねだりはやめましょう。贅沢いったら、きりがありませんわ。

いつまでも美しくいたいのが女心のように思われがちですが、ちょっと待ってください。わたくしたち一般女性の全員が、若いころに美しかったわけではありません。若かったころはお肌ぴちぴち、お胸むっちりだったでしょが、「お美しい」などと言われた方は少数派。ですからわたくしたちふつうの女性は、歳をとっても美しくいたいわけではなく、せいぜい小ざっぱり、あるいは小ぎれいでありたいと願っているわけです。 若い時分は肩も懲りませんでしたし、腰も痛くなかった。ですが若いころは、かならずしもハッピーなことばかりではなかったはずです。見方によっては、「昔はよかった」と、過去を美化して思い出せるのは今が幸せな証拠ではないでしょうか。 絶世の美女に生まれていればきっと、人一倍いつまでもキレイでいたいとお思いにちがいありません。ところが、わたくしなどは、今さらシワがふえても平気です。アイドルや女優ではなかったのですから、美しさが失われていく恐怖におののくのはナンセンス。それに決定的なのは、美人が幸せになったとはかぎらないという確率的な事実を、わたくしたちは知っているではありませんか。 美人はとくだといわれますが、人生の終盤戦を迎えたころになると、そうでもないことが判明。男性にしても、高校や大学のエースがだだの人で終わるケースを目の当たりにするわけです。 まったく目立ったところがなかった男子が、見栄えのいい中年紳士になっていたりするのが同窓会の醍醐味です。そして、「とくに美人ではなかった妻が、どうにかみられるようになった」とおっしゃるご主人たちが少なからずいらっしゃるのが、わたくしたち一般の女性たちの福音にちがいありません。初老に達したわたくしたち世代が、「ふつうでもいい、今が面白ければ」と胸を張って笑っている姿が、お若い方の励みになれば幸いです。