あってもなくても、どちらも同じ

2014/4/15 

いつの間にかこの私は、お金の話が得意なエッセイストになっておりました。不本意と申すのも僭越で、拙著のタイトルを認知していただいている証拠。感謝こそすれ、文句をいう筋ではございません。とはいえ、実はお金の話が得意どころか真逆で、「お金がなくても平気よ!」と、語意を強めております。一歳ずつ歳を取るにつれて、その思いがより確固たるものになるのでした。そうです、まわりに「お金があっても、つまらなそうな顔」をした人々がたくさんいらっしゃる。お金を残しても仕方がないのはわかっているけれど、だからといって、持っているお金を有効に使う方法がわからない。株で損をなさったことも、きっとおありでしょう。お金があっても、世の中がちっとも面白くない。お金で買えるものなら面白いことが欲しいと、叶わない望みを抱いている人がどんなに多いことでしょう。貧乏人の負け惜しみといわれようと、いっこうに怯みません(笑)。

J・J・ルソーの『人間不平等起源論』をタイトルにひかれて高校生のころ読み、なんどか再読。人間社会に不平等が生まれるようになった経緯が書いてありましたが、妙に納得できます。J・J・ルソーのことをジャン・ジャックと呼んで、恋人のように親しみを込めて語っていたパリジェンヌがおりましたっけ。森の中や湖のほとりを、ルソーのようにひとりで歩いている自分を想像。以来、この8文字が私の心の隅でくすぶっているのでございます。ニンゲンフビョウドウキゲンロンと唱えますと、まるでお釈迦様の説法を聴いているように、キリストの僕になったように、いろいろなことが霧が晴れるようにクリアになるのでした。そうですよ、たくさん物を持っていたら、『狭き門』から入れませんものね。『猿が人間になるにあたっての労働の果たす役割』という本のタイトルもまた、も、同じように刺激的でした。それが哲学書だとも、経済の専門書だとも知らないで、闇雲に読んでいたあのころ。横浜の有隣堂書店の文庫コーナーで、題名に惹かれて手に取りました。カラオケで聞く『学生時代』はまさに、私のあのころですわ。

猿から人間に進化した延長で、だれもが欲張りになった。やがて陣取り合戦に科学が手伝って核戦争が起きて、etc。ギリシャ・ローマどころかバビロンの昔も今も、裸でいられなくなった私たちは、なにも変わっていないかも。そう考えると、なにもかもが余興のような気がして、気が楽になります。春の夜の、うたかた日記でした。