新宿ゴールデン街

2014/6/15 

若いころに読んだときは、気がつかなかったことがみえてくるのが、再読の醍醐味です。
本だけでなく映画もそうで、好きな映画はなんど観ても飽きません。これについては人によってちがうようで、当たり前のように同じ映画をなんども観る私に呆れる友人もいます。今回の『華麗なるギャツビー』でおさまらなかった私は、ロバート・レッドフォード版をさがし、ついでにF・ジェラルドの原作を再読。活字から映像になったときの受け狙いの部分が、分かった気がします。読者と視聴者では、納得の度合いがちがうようです。万事につけ、「へえーっ、そうだったのか」と思うために生きているといっても、いいかもしれません。その意味で40数年ぶりに訪れた新宿のゴールデン街にも、感じるところがありました。結論から先に申し上げると、オバサンが行くところではなかったようです。

NYが安全な都市になったように、新宿の歌舞伎町あたりも様変わりしました。女性区長さん肝いりの浄化作戦が功を奏したわけですが、昔を知っている世代にとってはいささか物足りません。ダーティーな部分が地下に潜ってしまって、以前より複雑怪奇になったとおっしゃる方もいますが、一般市民にはなんのことやら。世界的に知られるガイドブックの『ロンリー・プラネット』片手に、時代を引きずっているゴールデン街の路地を覗く欧米人。仲間と情報交換しているらしい中華系ツーリストの話し声。かつて漂っていた括弧つきの文化人くささが、どうにか保たれている風の一帯はまさに観光地。浅草寺や鎌倉の長谷の大仏、はたまた京都にもない、独特の風情がそこにありました。夜も更けて、帰り際の私の耳に、「トレ・オリジナル」というフランス語が引っ掛かったのでした。声の方向に腕を組んだフランス人の男性カップルがうれしそうに、ドアの隙間からもれる薄暗い店内を眺めているではありませんか。たしかに石造りのヨーロッパの町に、この手のバラックは皆無です。ゲインズブールが、ロマン・ギャリが出没したデ・プレの堅牢な建物の一角は、この先の百年、二百年も今のままにちがいありません。それにくらべて崩れそうで崩れない、壊れそうで壊れないゴールデン街のバラックが、外人旅行者にとって日本と日本人をいい意味で象徴する新鮮な存在なのかもしれません。観光地になったゴールデン街をみたら、「ハードボイルドだど」の内藤陳さんあたり、果たしてなんとおっしゃるでしょう。