『カトリーヌとパパ』でわかるモディアノの世界

2014/11/1 

パトリック・モディアノがノーベル文学賞を受賞したことを知り、とっさに「なるほど」と唸りました。つぎの瞬間、もしかしたら『カトリーヌとパパ』に陽があたる……。そのときの心境は、ずばり驚愕でした。「あれあれ、大丈夫かしら?」の思いで宇田川の部屋に忍び込み、彼の書棚にある『カトリーヌとパパ』を無断で持ち出し熟読。なにしろ22年前に初版が出て以来、日の目を見なかった一冊でしたから、真剣に読み直しました。今回の受賞作家の作品のなかで、もっとも面白く読める本の訳者が夫の宇田川悟だったことは、身に余る光栄です。ですが、たとえ縁もゆかりもない赤の他人が翻訳していたとしても私は、『カトリーヌとパパ』を再読したことでしょう。それはもちろん、ノーベル賞を受賞したから思ったことで、それがなかったらありません。文学賞だけでなく、あまたある賞がそうであるように、良くも悪くも勝てば官軍ですもんね。それにいたしましても、父と娘の物語であることと、すでに人気画家として知られていたサンペのおしゃれな挿絵にひかれ軽い気持ちで手にし、「これなら簡単に翻訳できる」と判断したにちがいない宇田川悟氏の、先見の明にあらためて拍手を惜しみません。

なにしろ、描写が巧みです。フランスの愛書家たちの間で使われている、モディアノ中毒という言葉の正体をみた思いがいたします。登場人物の生活圏をパリ10区の庶民的な町にさりげなく設定しながら、ベルギーやドイツ、そして遠くロシアを結ぶ国際列車が発着する北駅と東駅を挿入。さらに主人公カトリーヌのパパを、国境を越えて行き来するトラックが出入りする運送業者に仕立てることで、当時の混沌とした西欧世界を縦横に走り抜けます。正確には運送業をはじめたのはカトリーヌのパパではなく、ロシア移民だった彼女の祖父です。祖先がアルメニア移民、またはロシア移民だといって、胸を張ってアイデンティティにこだわる、パリ時代の私の親友たちの顔がちらつきます。そしてアメリカからパリに踊りに来ていた、美しいダンサーのママとパパは出会い、結婚してカトリーヌが誕生。物語は大人になって、娘とNYでバレエ教室を開いているカトリーヌのパリ回想ではじまります。これでパリが人種の坩堝と呼ばれる、本当の意味を納得。いけずさとペーソス、そして優しさがないまぜになったフランス人の本性を、鷲掴みにしたような快感に浸れる一冊であることは、まちがいありません。