「原発」がなければ……

2015/3/15 

春、まだ浅い北国に残された深い爪痕。「原発」さえなかったら草も生え、町も復興したでしょうにと思うと、ただ無念。4年たった今だからなおさら、「ふくしま」だけが悲しみの深淵に取り残されているようで切ないです。日本国憲法で示されている、基本的人権にかかわる問題ですよね、これって。誘致に名乗り出たでしょう、「原発交付金」を当てにしたでしょう、補償金が出ているでしょうといったレベルの問題ではありません。もらったお金を返せば元通りになるのなら、どこにも不幸はないのです。お金にかえられない人権の大切さを、ひしと感じます。

「原発交付金」で東電は、まさか人の命まで買ったとは思ってないはずです。だったらなおさら「ふくしま」を教訓にして、起きたら人々が不幸になることが明白な「原発」を廃絶するべきです。福島の発電所が供給してくれた電力を使っていた関東人としては、ますます遺憾です。もう、これ以上、原発地区に暮らす人々に、危い生活を強いたくないです。黒いビニール袋が山と積まれた核廃棄物の処理所にしても、自分たちで後始末できないゴミはもう出しません。「ふくしま」がきっかけになって、各国が原発稼働に慎重です。初期投資に莫大な資本がかかることや、採算ベースの観点から建設を断念するケースが多出。原発関連の数字をみますと全機停止中・運転終了・定期点検中・事故停止・終了予定といった、反対派にはうれしい数字の羅列。だのになぜ、またしてもわが国で再稼働がいわれているのか解せません。「脱原発」しか、選択肢はないというのに。電気代が1万円、高くなっても我慢です。この時期に、必ず思い出す光景があります。パリ郊外のノジャンという町の幼稚園の中庭で、許容値をはるかに超えた放射線濃度が記録されたニュースに、フランス中が騒然としたことがありました。核廃棄物を地下深く埋めてた場所に、幼稚園ができていたのでした。責任問題が、どんぱち火花を散らしておりました。あれから20年、オランド大統領は「減原発」をうたい、天然ガス、風力、太陽光を組み合わせたエネルギーを提唱。メルケン首相もそうです、「脱減発」を訴えます。それなのになぜ……、もう国民投票しかないですね。