コーヒーを飲みながら

2015/4/1 

紅茶のご本家は英国で、フランス人はコーヒーでした。ところが最近はパリで<マリアージュ・フレール>、<クスミ>につづいて<ダマン>など、お茶屋さんが大人気。よもやフランスが紅茶党宣言をしたかのようですが、残念ながら果物や花々で香りづけしたパリの老舗紅茶屋さんのお客さまの主流は観光客。とくにジャポネーズさまさまといったところ。日本人女性の審美眼は定評があり、ジャポネーズが群がれば米豪中韓が続くとのこと。それにセイロンとかアッサム、ダージリンなどの正統については、相変わらず英国に軍配が上がります。コーヒーもフランスのそれは、ほとんどの場合はフレンチローストと呼ばれる深煎りタイプ。日本人の私たちの繊細な味覚、嗅覚からいたしますと、慣れないうちは濃いばかりで物足りない。お肉が主体のディナーの後に、きゅっと飲む少量のエスプレッソは食後酒がわり。昼間はブルー・マウンテンやコロンビアなど、酸味と苦みの絶妙なハーモニーが恋しくなります。唐突ですが、カラオケで『コーヒー・ルンバ』を聴いて、とても感心しました。帰宅して、さっそくPCで西田佐知子さんが歌うそれを聴き直し、「昔 アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた哀れな男に 痺れるような香り一杯のコーヒーを……南の国の情熱のアロマ…」の歌詞に、思わずため息。1961〜62年のヒットしたとき、すでにアロマという言葉があったこと自体びっくりでした。そしてオリンピック前というのが、ある記憶とばっちり符号。作為的とも思える、驚きの相乗効果でした。

オーバーな言い方をいたしましたが、それは『上島コーヒー』の役員OBのU氏から以前にお聞きした日本のコーヒー史でした。わが国にコーヒーが浸透したのは一重に、東京オリンピックのおかげだったそうです。東京オリンピックのために次々と建設された、大型ホテルでのコーヒーの消費急増で一挙にブレイク。当時、営業最前線で活躍なさっていらした氏のお話は、そのままわが国の高度成長の波に乗っているかのようでした。また、南米のブラジルやコロンビア、コスタリカに良質のコーヒー豆を求めてのご出張のときのようすなど、どれも印象的でした。そうですよね、コーヒーだけでなく、パンもそうでしたっけ。手作りパン屋さんが話題になる以前は、パンといえば大手ホテルの食パンが最上級とされていたのですもの。1964年の東京オリンピックのお土産って、ものすごくたくさんあったんですね。さてさて5年後は、多くは期待いたしませんが、どうなるのかしらね。