考える習慣

2015/4/15 

私のすきな場所は、都内なら外苑の銀杏並木。郊外ではぽっぽっと山桜が浮き上がる、これからの季節の秩父。パリはリュクサンブール公園と、ロダン美術館でしょうか。「わあーっ、キレイ!!!」に惹かれなくもありませんが、物思いにふけられる場所がいい。麻のコートのポケットに手を突っ込み、土の上を歩く感触が懐かしい。習うのが苦手で、どんなことでも自分で納得しないと前に進めない性分の私は、パンセでもシンキングでもいいけれど、あれこれ思いめぐらせるのが趣味です。そう、だから20年もパリにいて、平気だったのかも。

パリ時代のはじめの2年間ほど、仲良くしてくださった特派員夫人のAさんが、閉める前のGSにいらして、こうおっしゃったのには驚きました。「あなたたち母娘が日本人と付き合わないで、どんな子供になるか心配で、みにいってあげていたのよ」と。もちろん、まったく付き合わなかったわけではありませんでした。今は窓口業務がなくなってしまいましたが、日本からの送金の受け取りはパリの東京銀行でした。東銀に行けば、日本人と話しました。パリ⇔東京の航空券も、日本人が経営している旅行代理店で買ってました。でもやっぱり、リュクサンブール公園とロダン美術館だったかも。フランスの生活って、考えなければならない機会が、たくさんあるんです。なにしろ、大学入試資格のバカロレアで、哲学の試験が4時間におよぶお国柄ですからね。

ロダン美術館の入り口にある『考える人』のブロンズを見上げて、美術館の庭園で雨ざらしになっている、大理石の無数の彫刻を端から眺めてみました。すると『考える人』があるとき、膝に肱を突いて「我思う、ゆえに我あり」と、デカルトみたいなことを呟くのでした。しばらくして歩み寄った彫刻が、あたかもデカルトの言葉に物申す感じで、「哲学をバカにすることこそ、真に哲学することである」といって、心なしか微笑んでいるではありませんか。そういえば、J.J.ルソーに心酔していたリセの哲学の先生が、まるで恋人ででもあるかのように、ルソーを「ジャン・ジャック」と呼んでいましたっけ。私の世代は、高校の授業でも大学の一般教養でも、哲学がありました。ところが、いつの間にか大学の授業までが、実社会に奉仕する内容になってしまった。それが今になって、「習うより考える力」なんていわれても、子供たちだけでなく大人も困ります。人はヒマなときにものを考えると、ラ・フォンテーヌもいってます。そうだ、これからは「ヒマのすすめ」で、楽しくやりましょう。