人生を三分割して思うこと

2015/10/1 

先回のこのページで書きました龍之介の『河童』たちではないので、人間は親は選べません。子どもを世の中の掟に従わせるのが教育であると、フランスの親たちはわきまえます。物心つくまでの子どもは、かなりしごかれます。それでは物心がつくのがいつかといえば、中学生ごろでしょうか。親と食事をともに食べられるようになるのが、子どもなりに人格が認められるひとつの目安。といっても一人っ子や、母親が外で働いていない家庭などは、そうともかぎりません。そしてまた、女性がおしゃれをしなくなったと嘆く老婦人たちは判で押したように、子供たちの躾がわるくなったと呆れます。つまり、息子のお嫁さんや実の娘たちがおしゃれをしなくなり、自分の子どもたちが孫を甘やかすといってぶつぶつ文句をいいます。これについてはわが国も同じで、私たちの母親世代は私たちよりおしゃれでしたよね。今はコスメや衣服の種類は昔と比較にならないほど豊富ですが、おしゃれの度合いは昔にかなわない。都市部と地方とか、個人差もありましたから一概にはいえませんが、昔の女性はお勉強をする必要がなかったんですもんね。子どもの躾も、わが国も昔の方が厳しかった。そろそろ、逸れた話を戻しましょう。物心ついて、リセと呼ばれる高等学校にいきます。この段階にわが国のような選抜式の受験戦争はありませんが、一部の成績抜群の生徒は頑張って、予科のある高等学校に進む。いずれの場合も大学を卒業して社会人になるまでが第一期の『学びの段階』です。学生でも同棲はありですが、経済力がないので家族は持てません。

第二期が、社会に出て就職して子供を持つ。拙著でいっている、『育ての段階』がこれで、子どもを育てる歓びと愛するパートナーとの、大変ですが充実した日々になります。子どもの扶養にはお金がいりますが、フランスの場合は親に教育費の負担がないのが決定的にその後の人生を変えます。わが国も教育費がタダ同然になったら、最大課題になっている「少子化」が止まる。子どもがいれば人々の生活に愛に溢れて、第三期の『待ってましたの定年』の受け止め方もちがってくることでしょう。フランスが全面的にいいわけでは決してありませんが、原則として学校は公立で教育費ナシは文句なしにGood。福山雅治さんも子どもふたりとおっしゃってますし、なんとなく世の中が上昇気流かもです。