世界の共通語、英語の裏に隠れる危険

2015/12/1 

今回のテロで有名になったパリ郊外のサン・ドニはスタジアムの他に、歴代フランス王家の棺が納められている大聖堂で知られる町です。パリの真ん中を通るメトロ13号線を終点で降りて地上に出ると、みなさんがテレビを観てお思いになったように、「ここがパリなの?」といった感じです。でも暗い空気はほんの数分で、駅周辺を抜けるとあたりが明るく開けて、目の前ににょきっとゴシツク様式の大聖堂が現れます。初代のダゴベル王にはじまって、フランソワ1世もルイ14世もマリ・アントワネットもこの寺院に眠ってます。おまけに大聖堂に隣接して、「レジオン・ドヌール叙勲者の子女のための学校」と記された、寄宿舎のある珍しい学校が、少なくとも私がパリに住んでいたころはありました。レジオン・ドヌールといえば国家功労者に与えられる最高勲章ですから、彼らの子女を集めた学校はフランスの権威の純粋培養。ちなみにサン・ドニ大聖堂は、パリのノートルダム寺院より先に建てられております。歴女の私はけっこう好きですが、大勢のアラブ・アフリカ系の人たちとカトリック大寺院のコントラストが、フランス中でここほど強い町を私は知りません。

シリアからの難民だけではなく、旧植民地からの移民問題と彼らの失業問題などが噴出し、70年ごろからフランスは大変なことになってました。フランスだけでなく、ドイツもベルギーも、それにイギリスも避けられない、欧州の大国に共通した癒しがたい大病でした。私がパリに住んでいた20年間もその意味で人々は、心のどこかで植民地時代のツケの部分を実感していた。そしてテレビを観ていると今回の同時多発テロは、そうした欧州の大国が第二次世界大戦後に抱えていた闇の部分にも原因があるのではないかと、日本人は勘繰るのではないかという気がいたしました。でも、そうだとしたらあくまでも遠因でしかないと思います。というのもイラン・イラク戦争あたりから、世界情勢がまったく変わってきました。オスマントルコ帝国が滅亡したあたりから、宗教と人種の小競り合いを繰り返しながらも維持していた、ヨーロッパとイスラム圏の均衡が英語の普及でぐしゃぐしゃになったのではないでしょうか。アメリカのせいでとは決して申しません、英語です。英語文に隠された憎悪を、インターネットが世界中に拡散してしまうのですから大変な時代になったものです。今日はネタが硬すぎて、ごめんなさい。次回は心が温かくなる、ワインとお料理でいきますね。