diary日 記 2016 / 01 / 01

「記憶を蘇らせてくれる小物たち」

いつもよりすがすがしい気持ちで、新年をむかえました。今年は感慨深くもあり、軽やかな気分もします。これは、いったいなぜかしらと自問自答した末に、こんな答えにうれしくなりました。私の人生が大いなる助走を終えて、次なるジャンプに移行しているとね。ホップ・ステップ・ジャンプという言葉のトーンから、ジャンプってテンポのいいものかとおもってましたが、勘違いでした。そうですよ、思い返すと私のステップだって30年もかかりましたもん。運動神経がとくに鈍い私の、ジャンプだって緩慢なはずだわと観念。あっちこっち寄り道をしながら、これから万端で「あっ、そうか、そうだったんだ」を出していくのが楽しみです。そのプロセスで、すべてに磨きがかかってくれることを自分祈願。お料理に、お裁縫に、人間関係に、そして著作etc. 「歳を取るのが楽しみ!!!」と、笑顔のお正月。いったい吉村に、なにがあったというのでしょうか、それとも歳のせいかしら?

心境の変化のきっかけは、inf.で簡単に触れた、「家の光協会」さんからの写真満載本のご依頼でした。「えっ、わが家を、私を、私の持ち物を撮るの……」と、編集さんの意図に一瞬たじろぎ、「そんな本、作っても売れないでしょう」といった舌のねも乾かないうちに、担当のUさんと話していた私は、信じられないほど露出狂に変身。Uさんと部屋を見廻し、アレもコレもいいかもと、今まで、たくさんの写真映りのいい小物たちに囲まれて暮らしていた幸せに気づいたのでした。みなさんも、考えてみてください。見慣れた光景の中に、じんわりとした趣が潜んでいるのではありませんか? 友人宅の玄関にある椿に、蕾がついた。なぜ、あの年だけご近所の柳の枝に、燕の一家が飛んできたのかしら? 自宅の飾り棚にぎっしり詰まった小物たちひとりずつが、私に秋波を送ります。「あの日、冬の寒い日の午後だった。あなたは髪の長い少女と片田舎の私がいた店に来て、私を買ってくれた。あのとき日本人をはじめてみた私は、この人たちが私を買てくれたらいいのにと思った。でも、まさか、東京まで連れて来てくれるとは思わなかった。そうよ、あなたも歳をとったわね。まあ、私は200歳だけどね」と、ドルドーニュ地方の骨董屋でみつけた陶製の人形が私に、こう語りかけます。そうです、あれはラスコーの洞窟画を眺めた翌日のことでした。もし、この人形を捨ててしまっていたら、私はあの日のことも忘れていたにちがいありません。雑貨は苦手ですが、思い出がらみの小物は大切にしたい。「家の光」さんのおかげで、出会いのエピソードがぎっしり詰まった、小物たちをみなさまにご紹介できると思うとわくわくです。「今年は春から縁起がいいや」の台詞が降ってまいります。どうぞ、こんな私と今年も仲良くしてください。