diary日 記 2016 / 05 / 01

「終活」より愉快に暮らそ!

若い人たちにオバサンのざれ言をお聞かせするのは、とても気が引けます。ですから、「聞きたくもない」とおっしゃる方は、今日は耳をふさいでください。私が敢えて申し上げたいのは、「終活」と称して押し入れや物置に頭を突っ込んで、片付けばかりに熱中しないでほしいということです。それより、もっと刺激のある面白いことをしましょう。たとえばDVDを借りて観るとか、生涯学習センターに通うとか、作ったことがないお料理に挑戦するのもいいでしょう。若いころに無限だと思っていた時間が、もはや刻一刻と音を立てて過ぎていきます。整理整頓に明け暮れていないで、好きなこと三昧で暮らしましょう。今までさんざん掃除、洗濯、食事の支度をしたのですから、これからは気楽にやりましょうよ。極端なはなし、夫婦の食事が時差式でも、おたがいに好きな時間に食べればいいと思います。これまで、まじめに生きてきたんですから、これから「翔んでるオバサン」しながら、穏やかに暮らしましょう。

「終活」に警鐘を鳴らす理由は、思い出の雑貨を捨ててしまう危険性を慮ってのことです。子どもが小三のときに作った、紙粘土に絵具とニスで彩色されたマメ皿が、なんどあなたを力づけてくれたことでしょう。作ったご本人は、とうに忘却の彼方に押しやってしまったマメ皿でしょうが、見ているだけで心和むそれは母親の私たちにとっては宝物です。同じように、たくさんの小物たちが私たちの記憶の世界で跳ね回わり、私たちが眠っている深夜に小声で話し合っている声がするではありませんか。言葉に精神が宿るように、私たちが大切にしているものにも心が宿っていると思います。もちろん取捨選択はいりますが、ゴミ回収車があなたの記憶まで持ち去ってしまったとしたら、それほどの悲劇はありません。キレイに片付いた部屋のソファーに座って、ぼんやりしてしまってはボケてしまうじゃないですか。ケンカをするには、相手がいるんです。記憶の糸をたぐるには、記憶を呼び起こすきっかけになるものがいる。「あの日、あの時のアレね」といった具合に、私たちの人生に彩をそえてくれた雑貨たちを捨てないでください。それに苦労して「終活」しても、片付け切れるものではありません。キレイにしても五十歩百歩ならば、ぐしゃぐしゃでいいじゃない。もっともっと、後半の人生を愉しんじゃいましょう。…短絡的な女より