diary日 記 2016 / 08 / 15

『ランバタ』がはやったとき

"ブラジル人って、私たち日本人の対極かも"と感じたことがあったことを、オリンピック関連の番組を観ていて思い出しました。かれこれ四半世紀ほど昔の話ですが、この私がランバダのビデオ制作を請け負ったことがございました。1990年前後の当時、CBSソニーのカオマKaoma というフランス人グループによるランバタのダンスと音楽が大ヒットしておりました。サルサやランバタなど中南米のダンスは、動きが激しくてエロチック。ペアで踊る男女の下半身の密着度が半端なく、女性の背中が折れそうに絡みます。もともと土着のリズムがカオマによってフランス的に洗練されて、ワールドミュージックの先駆的な存在でした。カオマの演奏とダンスをご覧になった出版社の社長さんの、「ウチでもランバタ、出したいから」のひと言で、私のランバダ騒動がはじまったわけです。まあ、おかげで私はブラジル人たちと親しくなりました。ダンスも音楽も、カオマのグループの再結成で約2週間。東京からビデオ制作のプロのAさんがいらして、現場の監督さんや照明、録音さんはフランス人の専門家にお願いしました。

ビデオ制作はパリの北、ポルト・ド・リラという労働者街のブラジル人コミュニティーを訪ねるところから、スターしました。初日、朝からバンドとダンサーのキャスティングについて、コレグラファと呼ばれる振付師とざっくり打ち合わせしました。そしてランチ時間になったので、その場に居合わせた約10人で、近くのビストロに行こうと私が申しました。するとコレグラファが私に、こう持ちかけてきたのでした。「あなたがビストロに使う予定の金額を、僕にください。近くのスーパーで食料を買ってくれば、もっと大勢で食べられるから」と。反対する理由がありませんし、彼に現金を渡しました。安いビストロ10人分の代金ですから、日本円にして2万円ぐらいだったと思います。フランス人スタッフとAさんと私は近くのビストロで食事をすませて、事務所に戻りました。するとなにやら、外からも室内のざわめきが察せられましたが、ドアを開けて私たちは「オオッ!」。ブラジル人側が家族総動員、5~60人がお食事まっ只中でした。その光景にさすがのフランス人たちも、ただただ驚嘆。パリからの引っ越し荷物に紛れ込ませて持ち帰ったあのときのランバタのビデオのカバーが、彼らとの面白くて切ない数々のエピソードを思い出させてくれます。人生、いろいろなことをやっておくものですね。