diary日 記 2017 / 07 / 15

外国人労働者にたよるということ

パリの裏道り、人ひとりがやっと通れるくらい開いたドアからもくもくと白い湯気が溢れます。そこがビストロの厨房だとしたら、今の季節ならさしずめホワイト・アスパラを茹でた大鍋のお湯を、シンクに流したのでしょうか。そういえば以前にも、大量の湯気に気圧されたようにあのときの私は、ホワイト・アスパラの皮を超速で剥く方法を、勝手口のドアの隙間から覗いて学んだのでした。繊細な芽の部分を傷つけないように、先端から2㎝ほど手前を左手で持って、右手の人差し指と親指でしっかり押さえた包丁の刃を、勢いよく左手に向かって滑らせます。白いアスパラを握ったチュニジア人の手元を好奇な眼で眺めていた私を、にっこりと見返していた彼らの、きらきら輝く黒い瞳が記憶に蘇ります。表通りに面した磨き込んだドアを引き、満面の笑顔で来客を迎えるメートルと呼ばれる支配人がいます。奥に黒いチョッキに、ブドウの房の金バッジを胸につけたソムリエが待機。黄色くて濃厚なソースがかかった4本のホワイト・アスパラが整列する、26センチの大皿を両手に持ったギャルソンがテーブルに来ました。それまで話に夢中になっていたお客たちが黙り、テーブルの上に畳んだままになっていたナプキンを大急ぎで銘々に自分の膝の上に広げるのでした。そして「ウワオーッ!」を合図に、ナイフとホークのセレモニーに貪欲に挑みます。

ホワイト・アスパラの皮を剥いた厨房スタッフの存在なくして、季節の美味しい食材が自分たちの口に入らないことは周知のこと。とはいえ、「今、あなたが口に運んだ、ホワイト・アスパラの皮を剥いたのがだれだか、ご存じですか?」とお客たちに問うたらだれもが口をそろえて、こう言うに違いありません。「えっ、ホワイト・アスパラの皮を剥いたのは……、お宅のプロンジェでしょ」と。皿洗いもそうですが、レタスを洗ったりジャガイモやアスパラの皮を剥くようなレストランやビストロの下働きは、広くプロンジェと呼ばれます。シンク周りの仕事ですから、水に浸すとか漬けるといった本来の意味にふさわしい呼称ですね。あの日、勝手口のドア付近にいた彼らは、1830年代ごろにフランスが植民地化した北アフリカ一帯はマグレブの人たちでした。モロッコとチュニジアが先で、本国と因果が濃かったアルジェリアの独立が最後で1962年。大統領戦に破れたとはいえ、ことあるごとに右翼のル・ペンが移民排斥を叫びます。もしもフランス中のレストランからプロンジェがいなくなったら、まず困るのは食いしん坊たち。人手不足で最終的に困るのは、飲食店の経営者ではなくて食べ手の私たち?コレが日仏の決定的なちがいかもね。