diary日 記 2018 / 03 / 15

DMCの刺繍糸

「このツヤ、DMCじゃないと出ないのよね」といいながら、刺繍をしていた母のことを思い出します。静かな辻堂の木造屋で、年端もゆかない3、4歳の私を相手に母が、よくまあ繰り返し同じことをいったものだと呆れます。母が指先で3本取りにしたり、2本取りにして針穴に糸を通していた、黒い紙の帯で柔らかく束ねられたDMCの刺繍糸のことを、あのころの母の歳の倍くらいになった私が今、こうして当時の光景を回想しながら語ろうとは。そもそもDMCが世界的にシェアを持つフランスの製糸会社だということなど、果たして母は知っていたかしら。フランスの北西部、絵のように美しいアルザス地方はミュルーズという町のDMC社が1746年創業の、超がつく老舗だということなど知る由もなかったにちがいありません。Inf.に書いたとおり私の本ではありませんが、2005年に「はじめに」に相当する箇所を書かせていただいたご縁で、今月発売の2冊も巻頭は私です。お料理だけでなく、手芸大好き。調理実習では先生に遠慮しながらキャベツを千切りにし、運針では先生より遅れてはじめて、わざと下手にしても、家庭科はいつも5でした。私たちの世代の学習評価は、全国的に5段階。家庭科のほかでいつも5だったのは美術で、一番できなかった体育がご褒美の3。なんのご褒美かといいますと、先生のいうことをよく聞くイイ子だからもらった3で、かぎりなく2に近い3でした。それでは逸れた本題をもとに戻して、DMCについてお話ししましょう。

ヨーロッパの地理的な要所で、豊富な地下資源と森林資源に恵まれたがゆえに、第二次大戦の終結までアルザス地方は、独仏の争奪戦の的でした。アルザスの主都は巨大なカテドラルで知られるストラスブールですが、二番目はミュルーズ。自動車のプジョーもこの地で誕生し、当初は胡椒挽きやコーヒーミルなどの家庭雑貨が主体でした。自転車の時代を経て、フランスを代表する自動車会社に成長してからのプジョーからは、ミュルーズ色は薄れました。プジョーとは反対に、1746年の創業以来、ミュルーズをベースに着々と事業を拡張してきたのがDMCです。なにしろフランスの産業革命発祥の地がミュルーズの、それもDMC本社工場なのですからあっぱれなものです。社名のDMCについて簡単に述べますと、Dは初代ドルフュスのD。創業者の甥が名門ミエッグ家のお嬢さまと結婚したことでカンパニー名にMが加わり、DMCの社名が定着。世界初の「手芸百科事典」編纂も、快挙といえます。inf.に記しました、2冊に収録されている作品のほとんどがDMCのコレクションです。刺繍するヒマがないとおっしゃるなら、せめて本の中でご覧ください。手芸って、精神安定剤になるんですよ。