diary日 記 2018 / 10 / 15

アズナヴール、あの気迫

「後悔しなくてすんだわ!」と、日ごろは後悔という熟語と無縁の私が、アズナヴールの訃報を聞いて咄嗟に思いました。そして同時に、「NHKホール」での東京リサイタルを予約してくれた親友のFさんに、心から感謝いたしました。この春に予定されていた来日がご本人の腕の骨折により延期になって、先月の9月17日に実現。翌々日が大阪でしたが、日本公演がアズナヴールの最期を飾ったことになります。聞きしに勝るというか、舞台に漂う気迫たるや、凄まじいかぎりでした。FさんともうひとりMさんと三人並んで、S席とはいえないほど遠距離のS席でアズナヴールの歌声に聞き入り、あまりよく見えませんでしたが、見えているつもりになって一挙手一投足に釘付けになりました。フランス語と流暢な英語で、すごくトークもいい感じ。とても94才とは思えない世界最高峰のエンターテナーに、三人でただただ感動。歳を取るのはぜんぜんイヤではないし、死ぬのも怖くないといったニュアンスのことを、ご本人がおっしゃってました。渋谷から土砂降り雨の中を公園通りの坂道をぐっしょりになって上がったときは、あそこまで素晴らしいステージになるとは、……。そうか、最後の力を振り絞っていらしたのかと納得。謡曲にしても義太夫にしても演歌でも、90才を過ぎて現役の日本人歌手いるかしらと素朴な疑問が湧きましたが、アルファベットの方が発声しやすいらしいとか。これを書く私の耳に、アズナヴールの「ラ・ボエーム」が聴こえます。

アズナヴールは第一級のシャンソン歌手で作詞、作曲家でもありましたが、俳優としての力量も相当でした。子どものころから役者をしていただけに、米仏の映画に多数出演。なかでもバルザック好きな私は彼の代表作に、『ゴリオ爺さん』をあげます。19世紀、フランス革命からナポレオンにいたる世の中の劇的な転換を封印するかのように、ルイ18世が即位して王政が復古。フランス革命で解体されたはずの貴族階級がのさばり、そこに羽振りのいい新興ブルジョワジーが加わります。アズナヴール演ずるゴリオ爺さんは小麦商で財を成したブルジョワでしたが、社交界で見栄を張る美しい二人の娘に全財産を貢いでしまう。父と娘の一部始終が、南仏の田舎から野心を持ってパリにやって来た貧しい貴族の青年、ラスティニャックの目を通してリアルに描かれているわけですが、屋根裏部屋にまで堕ちるゴリオ爺さんの役を、まるで自分のためにバルザックが書いたと思っているかのようにうまいんですよ。岩波文庫ならアマゾンで1円ですが、アズナヴールの『ゴリオ爺さん』は例外的に映画の方が面白いです。歌い切って演じ切った彼に、あらためて拍手!!!!!『死んだ時に人を悲しませないのが、人間最高の美徳』の一言、いいですね。