diary日 記 2019 / 02 / 15

パリから連れ帰ったお雛さま

ちょうど今日、居間の片隅にお雛さまを飾りました。洋物ばかりの室内に、意表を突くという言葉がふさわしい感じで、お雛さまに違和感がありません。七段ではなく、お内裏さまだけですが、当時の流行だったようで大きくて堂々としてるんです。毎年ひとりでひっそり出し入れするたびに、パリ時代の過ぎし日の一幕を思い出します。あれは1982年の、今ごろのことでした。その前年の秋に娘が生まれたことを双方の実家に知らせましたら、夫の実家からパリにお雛さまが届きました。ある朝、当時、住んでいたアパルトマンの扉を「ドンドンドン!」と勢いよく叩く音にびっくり。覗き穴から来訪者をみると、馴染みの郵便配達のムッシュでした。件のムッシュが「ボンジュール」の次に、こういうではありませんか。「まったく、お気の毒だね。税関からの書留を持って来た僕を、恨まないでよ」と。税務署ならともかく、税関に出頭といわれても、なんのことか見当がつきませんでした。書留封筒を開封して中の印刷物を読みますと、日本からなにやら「商品」が届いているとありました。その「商品」の物品税として、当時の円に換算して35万円もの金額が記されているではありませんか。「贈り物」ならわかりますが、「商品」など買った覚えがないのですがほっておくわけにもいかず、出向きました。あのころはまだ、在仏日本人の送金窓口は東京銀行だけでした。35万円もの大金があるはずもなく、持っていた東銀振り出しの小切手で支払いました。パリの北郊、外国から到着した商品を荷受けする税関があった、冷たくて暗くて大きな倉庫の隅々が今でも忘れられません。

税吏に黄色い封筒を差し出して、待つこと小一時間。大きな台車に乗せられた、頑丈に木枠で梱包された1㍍角の荷物が現れたのでした。貼られた書類にはたしかにマーシヤンダイスとありましたが、商品名は「HINA DOLL」。贈り物のプッペ・ジャポネーズだといくら説明しても、税関に情状酌量の余地なし。娘の健康を願って送られたお雛さまが、そのときから私の宝物に仲間入り。今でこそ、飾られるだけで晴れの場が与えられないお雛さまですが、パリ時代は大活躍。相手がフランス人ですから、3月3日にこだわることなく、「女の子のお祭り」と称して、なん組ものグループを招集。小さなパリジェンヌに、仁平さんや浴衣、ウールやシルクの着物を服の上に適当に着せて、お雛さまの前で仮装パーティー。スマホの時代でなかったのが残念ですが、着崩れてグシャグシャになってもかわいいマドモアゼルを迎えに来たママたちも大はしゃぎ。「商品」としてパリまで行ったお雛さまが、引っ越し荷物と一緒に帰ってきてくれてよかった。今年はお礼に、橘と桜の花を買い替えました。