diary日 記 2019 / 03 / 01

パルレ・モア・子供のころのあなたのことを

「記憶の断片」という言葉があるように、ほんとうに記憶って断片的なものだと思います。 自分で申すのもなんですが私、記憶力のよさをよく褒められるんです。なにもかもではありませんが、覚えていることに関しては緻密。昨年末に小学校の同級生と会って当時の話をしていて、「よく、そんなこと覚えてるね」と、たびたび感心されました。「I君が鉄腕アトムの真似してN君に担がれて飛んでいて、入っていらした田中先生に叱られるのをみて、ちょっと怖かった」etc.『仮面の告白』の主人公ほどではありませんが、微に入り細に入り様々なことが目に浮かびます。3歳のときに母と藤沢市辻堂の熊ノ森から海岸に出て、砂山のてっぺんから見た光景が目に焼きついていたので、クルマの免許を取って、いの一番に辻堂に行ってみました。そしたら幼少の頃の記憶とピッタリで、うれしかったです。反面、まったく覚えていないこともあって、ある女性から「パリのお宅にお邪魔して、お食事をご一緒しました」といわれても、さっぱりなんです。そこで最近になって私は、記憶の確認をしておこうと考えるようになりました。
「Parlez-moi d’amour(パルレ-モア ダムール)聴かせてよ 愛の歌」という有名なシャンソンの逆バージョンのように、「子供の頃の思い出を聞かせて」と思う相手が大切な人かもと、人間関係を見極めるひとつのハードルになりそうです。そこでまず今日は、私のパリ初年、1979年のころの記憶をたぐってみることにしました。

手元にある吉川弘文堂の世界史年表によりますと、政治家のシモーヌ・ヴェイユ女史がECの議長になったと記されてあります。ECはヨーロッパ議会のことで後にEECになり、やが2002年から流通した共通通貨、€で象徴されるEUが誕生。と、これは新聞で報道されたことで、アウシュビッツを経験なさったシモーヌ・ヴェイユ女史がいつもシャネルのスーツをお召しになっていらして、シャネルの動く広告塔みたいだと思いましたっけ。なにしろパリのことも、フランスの右も左もわからなかった当時の記憶の中で、ひときわ印象に残っているのがApocalypseとgitaneという単語。前者は派手な映画の看板にあったタイトルでした。後になってパリに送られてきた『週刊文春』に、それが『地獄の黙示録』で79年のアカデミー賞については知りませんでした。TVを買ったのは翌年でしたから、79年にアカデミー賞のニュースは知りませんでした。ジプシーはフランス語だとジタンと呼ばれることも、アポカリプスと同じ日に覚えたことを覚えてます。その日のうちに、たったひとりで<ジプシー研究家>を名乗りました。1979年の記憶…着ていた服、食べたもの、隣に住んでいた人を思い出し、はじめて訪れたクリニャンクールの蚤の市で80フランで買ったピンクの花柄のティーポットが、今、隣の部屋にあります。10年ひと昔といいますが、振り返れば足掛け40年。当時つけていた日記の束を紐解くのは、10年ぐらい先にします。みなさんカーブスもいいですが、さあ、もっと昔話をしましょう頭の体操ですよ。