diary日 記 2019 / 07 / 15

プルーストのマドレーヌ

久し振りに、マドレーヌを焼きました。かわいがっていただいている、年配のご婦人が召し上がりやすいものをと考えてマドレーヌにしました。パウンドケーキも簡単ですが、食べるときカットしなくてはなりません。それにくらべてマドレーヌなら、袋から出して、お口にポン。フランスの老夫人たちはよく、マドレーヌを紅茶に浸して食べます。その場合、コーヒーではなく、なぜかお紅茶。マドレーヌというと難解な文章で知られる、20世紀文学の巨匠、マルセル・プルーストを思い出します。『失われた時を求めて』というタイトルは絶賛にあたいしますが、実は原題の直訳。今、大学で第二外国語を履修する際、中国語を選ぶ学生が圧倒的に多いそうです。それに、フランス語やドイツ語が選択肢にない大学がほとんどとか。中国人より漢字に精通している私たちにとって中国語は取っ付きやすそうですが、やってみると発音がものすごく大変。そもそもムダなことをして自己嫌悪に陥るのが学生の特権なのに、実用性ばかりを重視するの、どうかと思います。そう思うと、役に立たないフランス語やドイツ語、スペイン語をかじるほうが、その後の人生を面白くすると思うのは独善でしょうか? 少し話が逸れましたが、プルーストに戻りますと、世界中のプルースト研究家とほぼ同数の研究家が東京にいると、30年ぐらい前までいわれてました。仏文科が消滅した大学がふえてますから、激減したでしょうね。

『失われた時を求めて』は喘息に苦しんだ、プルーストの幼少期の記憶をもとに書かれた純文学です。イリエ・コンブレというロワール地方の町が舞台ですが、荘厳なお城が点在する流域ではなく、大聖堂で知られるシャルトルの南西、人口3千人ほどの静かな町。プルーストが滞在したのは父方の叔母、エリザベートの家で彼女の孫娘がそこを「マルセル・プルースト友の会」に寄贈。レオニー叔母さんとして小説に登場し、もっとも重要な役割を担います。小説の中でレオニー叔母さんが病弱なマルセルのために、毎朝、紅茶とマドレーヌを用意してくれたとあります。訪れたプルーストの家では彼女のベッドの枕元にマドレーヌと紅茶が置かれていて、プルーストが滞在していたのは中庭に面した子供部屋。ロワール地方はフランスの庭と称されるだけあり、花咲き乱れる典型的なブルジョワの館です。肝心のマドレーヌは作中にフランソワーズとして登場する、料理上手なお手伝いさん作ですが、大量生産のマドレーヌでも、紅茶に浸してプルースト風にいただくと文学的な香りがするので、ぜひ、お試しください。